愛について

今回のテーマは愛について。自分が20代の頃に抱いていた愛のイメージは「愛は優しくすること」みたいな感じでした。

歌物の音楽の歌詞も愛をテーマにしたものが多いですよね?何故だと思いますか?よくスタジオでも話題になるんです。

売れるから、直ぐに思い付くから、多くの人に受け入れられるから。などなど。

早速業界歴30年の親しい音楽プロモーター、マネージャーさんに電話を掛けて聞いてみました。

愛は普遍的なテーマだから、愛に例えて色々なメッセージを送れるから。というコメントを頂きました。

人間は愛を求める習性があって常に愛に飢えているのかも知れませんね。

自分は30代の頃、愛をテーマにした歌に抵抗感があった時期もありました。反抗期みたいな(笑)。

でも40代になって再び愛の歌を受け入れられるようになりました。

愛と一言でいってもその幅は広いですよね。男女関係はもちろん家族、兄弟、ペットや動物、同性愛もあるし大きくは人類愛まで広がります。

愛は与えるもの。なんて言う人も多いのではないでしょうか?

人間は集合体に属すると安心する習性があるそうです。動物が群れをなすのに似ているかもしれません。これは外敵から身を守るためですが。

子供を観察していると必ず仲良しグループで集まって遊んだりします。そして時には喧嘩して仲間外れが出たりします。

仲間外れとは無視される行為です。人間って存在価値を否定されるととても傷つきますよね。

子供の頃からやっちゃってるんですね。恋愛も終わった相手を無視したりしますよね。

逆に感謝されたり頼りにされたり存在価値を肯定されるとヤル気が出たりします。

このように無視されたり受け入れられたりして人間関係が進んで行くように思います。

受け入れられた時に愛を感じませんか?うまく当てはまる言葉が思い付かないのですがこれが愛の感覚のような気がします。

プレーボーイはセックスをした後に

「今夜は受け入れてくれてありがとう。最高だったよ」

なんて言葉を贈り相手を喜ばすそうです。

現実的には全ての人を受け入れることは不可能ですけどね。

自分の考える愛は、見守るもの、許すもの、励ますものといった感じです。

ちなみにこういう考え方をする人は自分軸寄りの人が多いような気がします。

愛は与えるもの、癒すもの、といった考え方の人は他人軸寄りの人が多いような気がします。

どちらが良いというわけではありませんが。

男性より女性の方が愛を求める欲求は強く、それは身体の関係より心の関係を重視するところにも現れていると思います。

プレーボーイは相手のタイプを見極めて女性のして欲しいことを叶えるのだそうです。

女「あなたには私の気持ちが分かているみたい?」

男「心が繋がっているからさ」

なんてね。ちなみに女性のして欲しいことは少女漫画やラブコミックからヒントが得られるそうです。

女性が抱く愛の欲求は血液型のようにパターン化できるそうです。

自称100人以上の交際経験のあるようなプレーボーイやホストに出会うと根掘り葉掘り聞くのですがそのパターンはなかなか聞き出すことはできませんね。

自分の女性経験は片手で収まりますから興味津々なんです。

おっと話が脱線しました。

10代の頃聞いていた歌物の音楽を今聴くと歌詞の解釈がずいぶんと変わっていることに気が付きます。

昔なにげなく聞き流していた言葉に共感したり感動したりします。

愛の解釈は年齢や経験とともに変化するようです。

実はこのテーマ最近Teitterで知り合ったみのりちゃんと同時にお互いのブログに投稿することにしました。

お互いのブログ記事についてツイッターでやりとりているうちに思い付きました。自分とはまた違った視点、解釈の「愛について」を是非ご覧になってください。

みのりの希望は朝ごとに

以下ブログから引用しました。


Twitterで知り合いになった音響エンジニアの会社(有限会社クリップ)の社長をやっておられる東春平さん(@higashi_s)と『愛について』というテーマでコラボをすることになりました。

愛というのは不思議な言葉です。男が女を愛するとも言いますし、親が子供を愛するとも言いますし、私はこの本を愛しているともいいます。

それぞれにおいて愛という言葉がもつニュアンスは大幅に異なりますが、私たちはその微妙なニュアンスを感じ取ることができてしまいます。

以上3つほど愛という言葉が使われる具体例を挙げましたが、これらの共通要素を取り出すとすれば、非論理性、非説得性というものが見えてくるのではないかと思うのです。

つまり、論理によって結合しない理由は、すべて愛という言葉で包み込むことができるのではないか。

親が子供を守るとき、理由はありません。テストで100点をとってくる子だから守るわけではありません。

テストの点が下がったら子供はもうどうでもいいというのは子を愛する親の態度ではないでしょう。

ただ子供であるがゆえに、つまり愛があるという理由のみによって子を愛するのです。

物を愛するという言い回しも、通常の嗜好の範囲を越えた場合に愛という単語が使われます。

物それ自体の持つ価値を越えて愛(め)でてしまうときに、愛するという単語を私たちは使うのです。

このように考えるのであれば、私たちは男女の愛を考えるときに、理由をもちだす矛盾に気づかされます。

男性の暴力に悩む女性に、多くの人は別れを薦めます。しかし、本人は別れません。彼が好きで、彼を愛しているからです。

彼女がマゾなのではありません。暴力もないほうがいいのです。彼女はただで彼であるがゆえに、彼を好きなのです。

ですから、年収が幾らだとか、将来が安定しているというのは結婚を付き合う理由にはなっても、愛する理由にはなりません。そもそも、理由がない状態を愛というのです。

気付いたら好きになっている。いいところなんかひとつも見つかりはしないのに好きになっている。

そういうのが愛の原型なのです。そのうえで、優しいだとか格好いいだとかおもしろいだとかそういったものは、愛の上にかかるいわばふりかけのようなものです。

ですから、あんな男やめたほうがいいとか言われても気にすることはないのです。人を愛するのに理由なんかひとつも要りはしないのです。それどころか、理由がないことが愛の唯一の存在証明となるのです。


以上です。

いかがでした?

次回のテーマは何にしようかな?

この記事を書いた人

東 春平代表取締役 / 音響エンジニア
音響と音楽で皆さんの役に立つことを考えています。

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