他人の価値感を察する気持ち

このテーマは拡大解釈できるのでどのように書くのか難しいですね。久々にボツにしようかと思いましたががんばって書いてみたいと思います。

例えば2車線道路を走っていて後方からジグザクに走りながら次々と車をぬかして走ってくる車があったとします。

これを見てあなたはどう思いますか?

「危ないなー」とか「捕まればいい」

などと思うのが一般的ですかね?なにげなくブロックしちゃったりする人もいるのではないでしょうか?

おなじシチュエーションでアメリカに行くと

「あの人はきっと急がなくてはならない理由があるのだ」

となります。そして道を譲たりもします。

日本人は自分が正しいと思う時は強気になったり相手の状況を察することなく一方的に物を考える傾向があるようです。

日本はかつて鎖国をしていたり国に都合の良い情報だけ操作して国民に伝えていたりしたことがあります。

また単一民族なので常識や価値観も単一と考えやすい傾向があるのかも知れません。

アメリカでは人種や宗教も色々ですからいろいろな常識や価値観があることを日常生活をとおして経験します。

最近では日本でも外国人が普通に街にいますし国際結婚も珍しくなくなってきていますので単一の価値観が通用しないことは認知さてれきていると思います。

しかしまだまだ相手の常識や価値観を察する気持が少ないと感じることがよくあります。

実はアメリカでもチャイナタウンを車で走ると日本と同じようなノリなんです。これはアジア人独特の習性なのかも知れませんね。

自分はオートバイのライディングテクニックを積極的に記事に書いています。これもまた別の価値観が存在することもあると思います。

他人のライディングを見て自分の価値観でもっとこうだったら良くなるのにな・・・と思っても相手は相手の価値観で取り組んでいたらよけいなお世話になると思います。

他人のネットの記事を読んで自分の価値観で思うことがあってもその記事を書いた人の価値観や背景まで察するとどうこう言えなくなってきます。

要するに自分が思ったり感じたことで一方的に考えたら次は相手の立場や状況も考えてみることも大切ではないでしょうか。

日本人ももう少し他人の価値観を察する気持が豊かになってくれるといいなと思うときがあります。

ネットのコミュニケーションが上手く行かないのはこのあたりの習性もあるのかも知れませんね。

アメリカではディベートという授業があります。これは例えば「喫煙」というテーマに対して肯定グループと否定グループに分かれて論議するのです。

このように一つのテーマをいろいろな視点から論議することにより物事を色々な角度から考える学習と自己表現力を養うのがねらいだそうです。

逆の考え方をするとどんな物事でも肯定と否定の両方の考え方が存在するということなんですよね。

オートバイのライディングテクニックも同じようなことが言える場合もあるかも知れません。

うーん、そんなことを考えると今後記事が書きにくくなってしまいそうです(笑)。

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