本能と道徳と知識のバランス
ある場面にぶつかった時にどう対処するかは人それぞれだと思います。この違いはどこから生まれてくるのでしょうか?
人間は対処の材料を本能と道徳と知識から思考しているのではないかと思います。道徳は倫理やマナーや習慣とも表現できると思います。
本能は生まれ持ったものですが道徳と知識は教育を受けたり経験を積むことで得られるものです。
就職や仕事や趣味において目標や夢を叶えるために知識を得ようとすることは誰でも行うことだと思います。
知識を得るためには学校に通ったり情報を集めて研究したり本を読んだり勉強したりすると思います。
このブログによく進路に付いて相談があります。将来○○の仕事をしたいのだけれどもどのような進路を選んだらよいかというのが大半です。
いつから就職をするために勉強や進路を考える風潮が主流になったのでしょうか?どのような学校に行っても将来に役立つ事を学ぶことはできると思います。
自分の知っている限りでは学生時代の勉強の延長線上で仕事をしている人はごく僅かな人達です。ほとんどの人は学生時代と社会人時代を別々の時代として過ごしています。
最近の会社は人を採用する際に知識面よりも道徳面を重視する傾向があると思います。
かつて期学歴至上主義的な時代もあったように思います。しかしどんなに知識があっても道徳面が悪かったら良い結果に結びつかないことを経験から学んだのでしょう。
そうは言っても学歴がまったく関係ないかと言うとそうでもない所が話を難しくしていると思いますが。
外国人と交流すると道徳面のギャップを感じることがよくあります。程度は小さくても日本人同士でもこのギャップを感じることがあります。
道徳と一言でいっても社会影響や宗教との関わりもありとても難しいですね。別の表現を考えると躾という言い方もイメージが近いようか気がします。
たとえば本能のおもむくままに生きている人は豊な経験や知識を持っていても社会では扱いにくいイメージがあります。
躾を十分にされた人はたとえ経験や知識が不十分であっても教育し甲斐のあるイメージがあります。
レコーディングエンジニアで豊富な経験や高いセンスを持っているのに消えていく人がいます。
業界を去った理由や事情は人それぞれだと思いますが仕方がないと思ったりもったいないと思ったりもします。
社会は本能的に生きている人には厳しいものが有るかも知れませんね。
社会で頭が良いとか優秀だとか成功していると言われる人は高い業績を達成したり優れたリーダーシップを発揮したりする人達だと思います。
このような人達は高学歴であったり学生時代の成績が優秀だったりとは限らないと思います。
本人に聞くとたいがい運が良かったという返事が返ってくることが多いです。自分の接した印象では本能と道徳と知識のバランスが良いのではないかと感じます。
これはビジネスだけでなくスポーツや芸術で立派な結果を残す人にも言えるような気がしますね。