欲求のコントロール
男と女の関係で相手の欲求を満たすか、 自分の欲求を我慢するか、 はたまたバランス取りに精を出すか・・・難題とのコメント頂きました。
そこで欲求のコントロールというテーマを思い付きこれを考えてみたいと思います。
愛は与えるもの、無償の愛。恋いは求めるもの。それが両方あるのが恋愛といった感じでしょうか。
自分の欲求を満たしたい時は心が恋を求めているのかもしれませんね。
人は自分のことはさておき、相手のことをよく観察しているものです。
欲求を伝えても相手も自分の欲求が満たされていないと受け入れてもらえなかったりします。
こんな場合は相手の欲求を満たしてあげるように努めればいずれ自分の欲求も受け入れてもらえるかも知れません。
でも相手が何を求めているのか本質を知るのはけっこう難しかったりします。
感情の本質的な部分は言葉に表現しにくいところもありますからね。「寂しい」と一言いわれてもどうされたらいいのかは人それぞれです。
こんなふうに相手のことを中心に考えることを他人軸といっています。
しかし相手のことばかり考えていると自分が無くなるというか相手に振り回されるというか自分がどうしたいのかが分からなくなったりします。
自分がどうしたいのか?
自分が楽しくなるためにはどうしたらいいのか?
自分が楽になるためにはどうしたらいいのか?
例えば相手に恋を求めて努力してもそれが叶う見込みがなければ他のもにの恋をするとか。
それは別の恋もそうですが自分の好きなこと、ワクワクするようなこと、趣味や何かを恋するようにすることで相手に対する欲求不満が少なくなることもあります。
思春期の子供にスポーツをさせるのに近いかな(笑)。
こんなふうに自分のことを考えることを自分は自分軸と言っています。
スポーツ競技でライバルのことばかり考えるよりも自分を高め、自分に勝つ。みたいな感じと近いような気がします。
実際は他人軸と自分軸の中間くらいでバランスしているのでしょうね。
それがどちらかに強く振れた時にストレスを受けたりストレスを与えたりするように思います。
子供は自分軸に振れていると思います。大人になっても子供っぽいと言われる人は自分軸に振れている人が多いような気がします。自分もそうかも知れません(汗)。
逆に日常生活で悩みを抱えやすい人は他人軸に触れている人が多いような気がします。
どちらが良いということではなく自分の欲求を客観的に見ることで悩みを軽くすることは出来ると思います。
恋の悩みは心の不安に気を取られ他のことに気が回らなくなってしまいがちですからね。
以前自分は恋するようにバイク競技に夢中になっていました。当然妻からは大ひんしゅくを買っていました。
恋モードに入ると回りが見えなくなるのはどうしてなんでしょうね。人間の特徴のような気がします。
次回のテーマは「男女の浮気率」に付いて考えてみます。お楽しみに♪