現在の仕事に就くきっかけになった出来事
自分が音響エンジニアの仕事に就くきっかけになったのは半年の間に2回仕事が多忙でコンサートに行けなかったからなんです。
音楽鑑賞の趣味をさかのぼると記憶に残っているのは小学校くらいからです。父のステレオで西部劇のレコードを夢中になって聞いていました。
当時流行っていたのはいしだあゆみさんの「ブルー・ライト・ヨコハマ」1969年や井上陽水さんの「夢の中へ」1973年ですから6才~10才くらいの時期ですね。
小学校は私立の学校にスクールバスで通っていましたので近所に友人がいなかったのですが唯一2人の幼なじみが近所にいて学校から帰るとよく3人でレコードをもちよって西部劇音楽の鑑賞会をしていた記憶があります。
10代になると西部劇音楽も聴き尽くした感があり少しずつ洋楽に興味をもち始めます。ちょうど世界ではビートルズやカーペンターズが流行っている時代です。
しかし流行に乗るのに抵抗があり自分の音楽を自分の手で探したくレコード店に通っていました。
そして1977年輸入盤の新譜コーナーでジャケ買いしたチープ・トリックの「蒼ざめたハイウエェイ」を聞いて一気に洋楽の世界へ入っていくのでした。このとき14才。
今気が付いたのですがこのレコードのジャケットにはバイクにまたがるメンバーが写っていて一番最初にオートバイのエンジンを始動する音が入っているのです。
まさかこのあと自分がバイクに夢中になるとは思ってもいませんでしたから不思議な感じがします。
世の中はフォークソングブームで周りで洋楽を好んで聴いている人はほとんどいませんでした。それでも自分はかたくなに洋楽を聴きあさっていたのを覚えています。
15才くらいからサイクリング中に見かけるバイクの姿が気になりだし16才になったらバイクに乗ることを決意します。
自分は誕生日が4月でした。16才になると予定どうり中型自動二輪免許を取得して仲間内では一番最初に400ccのバイクに乗り始めました。
この時から今もやっている二輪ジムカーナ競技に関わることになるのでした。
洋楽とバイクの趣味の時代が始まります。この当時は自分の中で趣味を仕事にすることと大きな企業に入ることに抵抗がありました。
写真は18才前後のものだと思います。もうこの頃は750ccのバイクに乗っていました。
最初に就職した仕事はファクトリー・オートメイションの技術開発をしているベンチャー企業でした。
当時ベンチャー企業ブームで大きな会社に入るよりベンチャー企業の方が自分の力を発揮できると考えました。
仕事は当時としては珍しいフレックスタイム制でコアタイムは10時から15時だったと思います。
このフレックスタイムを活用してクラッシックピアノやジャズピアノ、エレクトーンを習ったりスイミングスクールへ通ったりコンサートに行ったりとエンジョイしていました。
15才のころからファンだった尾崎亜美さんのデビュー10周年コンサートで日本武道館アリーナ席のチケットを友人と協力しあって入手しました。
コンサート当日いつものようにフレックスを利用して退社しようとすると「今日は忙しいから帰らないでくれ」と言われコンサートは急遽弟が行くことになりました。
その半年後くらいにカラヤンが来日してサントリーホールでコンサートをすることを知りました。
おそらくこれが最後の来日になるだろうということで当時クラッシックピアノを習っていた先生を誘ってそのコンサートに行くことにしました。
チケット代は1人24000円くらいしたと思います。
その先生は12才年上の人妻でしたが惚れていましたのでコンサートに誘うときはそれはもうドキドキでしたし先生が誘いを受けてくれたときの喜びも大きかったです。
もちろん下心などなく純粋に好きだっただけです。
しかしそのコンサートも当日仕事が忙しくなり行けなくなってしまったのです。そのとき上司に「コンサートと仕事どっちが大切なんだ、よく考えろ」と言われ内心コンサートだったのですが仕事をすることにしました。
ごれがきっかけとなりコンサートに行くといっても否定されない仕事をすることを決意したのでした。
それが現在の仕事に就くきっかけとなった出来事なんです。
今思えば恋愛感情で人生が左右されているんですよねー・・・凄いことだと思います。おそるべし恋愛の力・・・
って自分だけですかね、こんなの。
で、2004年の写真です。なんか進歩していないような気がしますね(笑)。むつごの魂百まで宿るってことなんですかね。