自己紹介
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まずは自己紹介をします。生まれは1963年東京都三鷹市です。子供のころはラジオやステレオ、無線など電気機器に興味を持っていました。
ゴミ捨て場に捨ててあるテレビなどを分解して真空管を集めたり、ラジカセを分解してみたり無線機を改造した思い出があります。
たしか秋葉原デビューは小学校低学年だったと思います。そのときはゲルマニュウムラジオの自作キットを買いに行ったと思います。
将来は電気関係のエンジニアになろうと思っていました。自分から言い出したのか親が仕向けたのか覚えていないのですがピアノを小学校から習い始めました。
しかしピアノのレッスンにあまり良い印象はありませんでした。厳しくされた印象しか残っていません。
自分の周りでは男子でピアノを習っていることは珍しかったので友達には隠していたように思います。
小学校のころは父親のステレオで西部劇のサントラのレコードをよく聞いていました。「荒野の七人」という西部劇映画を見たのが西部劇音楽を聞くきっかけになったと思います。
近所の仲良しの友人2人と西部劇の映画や音楽の話しで楽しく盛り上がっていた思い出があります。
またその近所の仲良し友達とは自転車でサイクリングに行くこともしていました。小学校高学年になると三鷹から渋谷や多摩川の河川敷あたりまでいっていました。
中学になると湘南や伊豆や相模湖まで足を伸ばすようになりました。
相模湖に行く途中で国道20号線の大垂水峠を自転車で上っているとオートバイが気持ちよさそうにカーブで斜めに傾きながら走りすぎて行く姿を見て、自分も16才になったら「オートバイに乗るぞ!」と思ったのです。
16才の誕生日に教習所に入学して約2ヶ月で中型自動二輪免許を取得しバイクに乗り始めました。これから6〜7年はバイクに夢中になっていました。
21才あたりからまた音楽をやりたくなりエレクトーンやクラッシックピアノ、ジャズピアノを習い始めました。
そして電気関係の設計をしているベンチャー会社に入社して電気エンジニアになったのです。
3年くらい働いたときに事件がおこります。15才のときからファンだった尾崎 亜美さんのコンサートや、その当時片思いをしていたクラッシックピアノの先生と一緒に行く約束をしていたサントリーホールでのカラヤンのコンサートを仕事が多忙のため棒に振ったのです。
これがきっかけでこの仕事に見切りを付けて音楽関係の仕事に進むことを決意するのです。
このとき25才でした。以後音楽関係のメーカーや放送局などに勤め平成8年32才のときに音響エンジニアの会社(有限会社クリップ)を設立して現在にいたります。
よく「どうしたら音響エンジニアの仕事に就けるのですか?」といった質問を受けることがありますが、私の場合はこのような経緯で音響エンジニアになりました。
写真は茅ヶ崎スタジオです。